8月も今日で終わり…
信じられません。
こんばんは。風子です(^^♪
町内会のお祭りも無事に終わり
ホッとしてる暇もないほど
連日動いております。
その電話は突然来ました。
「もしもし、救急隊の○○ですが
○○さんのご家族の方ですか?」
最初、○○さんの名前が間違っていた
こともあり、いたずら電話かと
思いました。
いつもなら知らない番号からの
電話は出ないのですが、
虫の知らせというものでしょうか…
聞けば、独身一人暮らしの叔母(79)が
部屋で倒れていて全く自力で
動けない状態だと。そして
警察と救急隊で運びだしたとのこと。
これから病院へ連れて行くので
今から来れないか?と。
叔母の家は、東京の端っこ。
千葉から車で2時間。
電車でも1時間半はかかります。
兄(84)である私の父を連れて
急いで病院へ向かいました。
病院で医師からの説明を受けて
言葉を失いました。
アパートの1階の方からの通報で
助けられた叔母は
全裸で倒れていたと。
そして、
部屋がごみ屋敷に近い状態だったと。
涙が出ました。
2月のお誕生日に電話した時は
元気そうだったのに…
最後に会ったのは3年前。
叔父の葬儀の時でした。
身なりもきちんとしていて
体も悪いところは何もないと
自慢していました。
どうしてこんなことに…
原因は尿路感染による
敗血症性ショック
発見された3日前には転倒して
警察に保護されていた事実も発覚。
その後、動けなくなって3日間
倒れていたのか⁈
何が何だか分からないけれど
叔母を入院させてアパートに
行ってみました。
部屋のドアを開けると
ものすごい異臭。
けれど、想像していた
ごみ屋敷とは違いごみ袋は
全然溜まっていませんでした。
おそらく倒れる前は自炊もして
堅実に生きていたのだと思います。
(新鮮なトマトも冷蔵庫にありました。)
ただ、動けなくなってからの
2~3日で排泄物が垂れ流しに
なってしまったのでしょう。
周りの紙や布で頑張って拭こうと
した後がありました。
きっと着ていた服も気持ち悪くて
脱いでしまったのでしょう。
発見された時は、
体は動かなかったけれど意識はあり
警察の方とやり取りも出来たそうです。
強いなぁ。おばちゃん。
あと半日発見が遅ければ
危なかったかもしれないのに。
その後の検査で膀胱がんも見付かり
1人暮らしは難しいと
判断された叔母。
介護付き老人ホームへの入居を
勧められました。
そして、
私の怒涛の日々が始まりました。
・アパートの清掃
・1階住民へのお礼
・財産の把握(貴重品を探す)
・入居施設の見学
・医師とソーシャルワーカーとの面談
・包括支援センターとの連絡
・引っ越しに伴うその他もろもろ
もう、何がなんだか…
電話1つ止めるにも
「ご本人様からの連絡でないと…」
と取り合ってもらえず。
銀行の通帳4冊も支店がバラバラ。
一体、誰が委任状もって行くんだ⁈
(おそらく私でしょう…)
自分は70歳を過ぎたら
通帳は1つにまとめます!
年金生活になってから
USドル建て投資信託やNISA積立など
解約がややこしいものはやりません。
(豪ドルの投資信託(償還日付き)って何⁇)
突然、自分が病院から
出られなくなるなんて
思ってもいなかった叔母。
後から分かったのですが、
倒れる3日前まで
友人と出掛けていたそうです。
(掃除中に電話が掛かってきて判明)
終活なんてやっていなかったので
あっちこっちに貴重品は隠してあるし
ゴミと貴重品を分けるのも一苦労。
東京と千葉を往復するだけで
毎日ヘトヘトです。
でも、叔母が生きていてくれて
本当に良かった。
もちろん命が助かった事が1番ですが、
話が出来るので本人に必要なことが
聞けて色んな手続きを進められます。
亡くなってしまっていたら
どうなっていたことでしょう。
まさか父より早く倒れるとも
思っていなかったけれど、
父より後でも更に困ったことに
なっていたかもしれません。
幸い、
千葉の方で施設も見付かったので
これからは父と兄妹の時間が
持てます。
沢山おしゃべりして少しでも
笑って過ごしてもらえたら
いいなと思っています。
それにしても
やっぱり終活って大切!と
実感する毎日なのでした。